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蓄積型体験学習詳細
| pepecanさんの記録 |
2014年11月10日(月) |
| 体験分野 企業実習 |
活動の名称 夏のおたのしみ会計画、実施、小説の配架等 |
実施施設・機関等 市立図書館 |
| 実施日 2014年5月26日~2014年9月1日 |
実施時間 実施回数:11回 実施時間:30.5時間 |
活動内容の概要
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市立図書館で毎年開催される「夏のおたのしみ会」の計画を立て、実行した。
「おはなし会」での読み聞かせをメインに置き、時間によって新聞紙のボールとペットボトルのピンで行うボウリングをしたり、手遊びやゲームをしたりし、折り紙やぶんぶんゴマ作り、冠作りを常設コーナーとして設けた。
私は「ぐりとぐら」の読み聞かせを担当した。
また、図書の配架も行った。 |
活動の総括
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対象を「お客様」に置き、ゼロの部分から何かを計画するのは初めての経験だったので、大変なことがたくさんあった。
目的はメインの「お客様」である子供たちを楽しませることにあるのだが、子供たちにとって何が楽しいのかを想像するのがまず難しかった。年齢によって出来ることに大きな差があるということも計画する上で壁となった。子供たちと遊ぶボランティアをしたことのあるメンバーの意見や、幼稚園に実習に行ったときの経験を活かし、子供たちが楽しめるようゲームや常設コーナーを考えた。年齢によって出来ることに差が出てくるという点については、対象年齢を大まかに分けるようにした。
しかし考えた計画も、著作権の問題で出来ないということがあった。何かを公に開催するときに、これほど著作権の制約を受けるとは思ってもみなかった。画像や動画、音楽などの無断転載がインターネットに溢れ返っている世の中で、著作権の問題を身近に感じた瞬間だった。
計画が固まり、そのための準備段階に入っても、予期せぬ事態は起こった。ぶんぶんゴマの強度の問題や、冠の素材の問題などである。ぶんぶんゴマを子供たちでも長く速く回せるようなものにするため、糸の本数やコマの部分の素材などを工夫した。冠の素材にはある程度の強度があるということで厚紙を採用し、ホチキスで留めるところにはテープを貼って子供たちが怪我をしないようにした。
本番になってもたくさん問題は起きた。まず、ボウリングのためのスペースがなく時間通りに始められなかった。当初は常設コーナーとおはなし会のためのスペースの間でやることになっていたのだが、その間にはスペースがほとんどなくまた保護者の方の乳母車などの荷物があったので出来なかったのである。おはなし会のスペースを少し片付けて空け、そこでボウリングをすることになった。だがまた問題は起きた。当初はボウリングの担当はひとりだったが、ボウリングをしたいという子供たちを順番に整列させ、ボールを拾い、子供に渡し、倒れたピンを元に戻し、ボールを渡し……という作業は、とてもひとりではやることが出来なかった。結局、今比較的手が空いている、という人がもう一人入り、二人で担当していたが、それでも少し滞りがあったと思う。ボウリングの担当は少なくとも三人は必要だった。昼前に起こったのは冠作りの飾りが足りないという問題である。案内担当の人が来客人数を数える片手間に飾りを作り、冠作りを提案した人がほぼ昼休み返上で飾りを作った。私は午後からは案内の担当だったので、来客人数を数えながらずっと飾りを作っていた。冠の飾りは元々図書館の方々が用意してくれ、それにはケーキや花や木やハートや星などいろいろな形があったのだが、私たちが案内の片手間に作れる飾りと言えばせいぜいハートや花、星くらいで、元々あった飾りと大変な落差がついてしまった。午後から来た子供たちの中で午前からいて色々な種類の可愛い飾りをたくさんつけた冠を見てうらやましいと思った子は少なからずいると思う。非常に申し訳ないことをしたと思う。ぶんぶんゴマも早い段階で尽きてしまったが、これはかなり準備が大変なので追加分を作ることは出来なかった。
準備段階でも本番でも本当に予想もつかなかった問題がたくさん起きて大変だったが、何より嬉しかったのは自分たちの企画を子供たちが眩しいほどの笑顔で楽しんでくれたことである。今の子供たちは何を楽しいと思うのだろう、このくらいの年の子たちが楽しいと思うのはどんなことだろうと、たくさん頭を悩ませた甲斐があった。この類の企画の良いと思うところは子供たちがつまらないと思ったらすぐに帰ることが出来るということである。だれかに遠慮して無理に楽しむ必要はないし、つまらないと思いながらいなければならないということもない。子供たちの多くは純粋におたのしみ会を楽しんでくれたのだと思う。そう考えると私はやはり学校という場で働くのは向いていないのではないかと思う。万人が楽しいと思うことというのはない。それなら楽しいと思える人間だけがそれをすればいいのであって、つまらないと思う人間は時間の無駄であるから別のことをしたほうがいい、という考えなので、義務教育ということで強制力の働く場で子供たちに何かをしたいということを思わないからだ。楽しいと思える人間がもっとより楽しいと思えることをしたい。そのためにはつまらないと思う人間は不在である必要すらあると思う。或いはこれは閉鎖的で冷たい考え方なのかもしれない。つまらないを楽しいに変える努力の放棄なのではないか? 身内だけで集まって楽しい楽しいと言っているだけでは不健全ではないのか? そうかもしれない、とも思う。就職活動に向けて、もっと深くこの問題については考えていきたい。 |
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